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2018.11.1

柳川の生活の基盤を築くため 手堀りで整備された930kmもの掘割の歴史

コト

水郷・柳川を象徴するような、川下りの風景。実はこの川下りに使われている、「掘割(ほりわり)」と呼ばれる水路は、930kmにもわたって張り巡らされ、重要な役割と古い歴史を持っています。

城下町にある掘割は、本来お城を守るためのもの。柳川でも江戸時代に城下町が整備されましたが、掘割の歴史はさらに古く、なんと弥生時代にまで遡ります。

実は、もともと柳川の南西部一帯は海。有明海の激しい干満の差によってできる干潟を、水はけするために掘割を作り、掘り上げた土を盛ることによって陸化することで、少しずつ生活の基盤を築いてきた歴史があります。掘割の「掘」は手で掘ったことから、手へんが使われているという話もあるのです。

埋め立てた土地は井戸を掘ると海水が出てしまうため、人々は掘割へ雨水をためることで、飲料水や生活用水、農業用水として利用してきました。今では観光に欠かせない一面を持つ掘割ですが、不利な土地柄とうまく付き合い生活の基盤を整えてきた、柳川の先人の知恵と努力の賜物なのです。

上水道の普及や生活排水による水質悪化から、1970年代には掘割を埋め立てる計画が持ち上がります。しかし、市民ぐるみの浄化作戦を展開し、掘割は再生しました。そのおかげで、柳川の生活は、今も掘割とともにあります。

柳川で行われるお祭りにも、この舟は欠かせません。春のひな祭りの時期には、「おひな様水上パレード」が、秋には柳川出身の詩聖・北原白秋の命日に「白秋祭水上パレード」が行われ、およそ80隻あるという舟が客席やステージとなって、掘割をただよいます。

春には自家用ボートで桜の木のそばへ移動し、風流な水上花見を嗜む方もいらっしゃるとか。いつも身近に掘割のある柳川の人々は、水辺を楽しく生活に取り込むアイデアに溢れています。

参考文献:「西鉄&西鉄バス沿線の不思議と謎」宮崎克則 著

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